34『陽動』



 別の問題を発生させる事で、本当の問題を覆い隠す。
 それが陽動。

 この手の作戦の存在は教えてくれる。
 人がいかに目に見える問題ばかりに気をとられているのかということを。



 コツ、コツ、コツ、と一人一人の足音が大きく響く螺旋階段をアルムス達はひたすら下りていく。
 この螺旋階段は“英知の宝珠”の部屋から、更に下に向かって伸びていたものだ。公にされているものではなく、その場所は代々魔導研究所の所長しか知ることはない。言うなれば、魔導研究所最大の秘め事。

「もうそろそろ三分刻(一時間)か……」

 この螺旋階段を進みはじめて、何度目かで懐中時計を盗み見ていたアルムスが、前を歩くディオスカスの声に身を竦ませる。彼に目をやるが、彼は前を向いたまま、手に入れたばかりの“英知の宝珠”を手に弄んでいるだけだ。
 今、ディオスカスが言ったのは、先ほど話題になっていたリク=エールの件のことだろう。そのヤマと見られる赤の刻(午後三時)から三分刻経ったという意味だ。

「どうやら彼等は間に合ったようで。赤の刻自体には間に合わなかったが、“滅びの魔力”の少女がその魔力で持って消え行く命を繋ぎ止めていたらしい」

 ディオスカスは、小型の伝声器を使って、階上の様子の報告を受けているらしい。アルムスが傍聴するのを嫌ったのか、それを耳に直接つけ、アルムスには聞こえないようにしていた。

「“滅びの魔力”が人を癒すなど考えたこともなかった。これは実に驚くべきことだ」

 自分の策が失敗したというのに、ディオスカスの声からはあまり落胆が感じられない。寧ろ、予想を上回り続ける相手を愉快にさえ思っているようだ。

「利用価値が高まるから、か?」
「単刀直入に言うと」

 アルムスの訝し気な問いに、ディオスカスがしれっと答える。“英知の宝珠”に続き、“滅びの魔力”をも狙っていることを隠そうともしない。

「しかし手に入れるのは難しいのではないか? 彼女は今一人ではない。今、彼女の傍にはカーエス=ルジュリスをはじめとして優秀な魔導士が付いている」
「そう、それが一番の問題だった」と、ディオスカスはふと足を止め、階段の二段ほど上にいるアルムスを見上げる。その表情は種明かしをする策士のような喜びに満ちている。

「色々と厄介な問題点はあったが、誤算のお陰で一番確実な方法をとることが出来た」
「どういう意味だ?」

 思わず聞き返すアルムスに、ディオスカスは不敵な笑いを浮かべ、再び身を翻して全身を開始しはじめた。

「そろそろ彼等もその意味を知る頃だろう」


   *****************************


「《鷲掴む炎》よ、その灼熱の炎によりて我が敵を燃やし尽くせっ!」
「ここに敷かれしは《水の陣》、熱気は決して入るべからず!」

 カーエスの手のひらから放たれた炎が、敵の張った障壁に阻まれて散る。
 十分な広さがある為、コーダは《シッカーリド》を召喚しているのだが、敵との距離が遠すぎてなかなか攻撃が出来ない。それはジェシカも同じ事だった。

「いっそ突撃してくれれば、こちらも手の打ちようがあるというものを!」
「かえって好都合じゃないスか? こっちは時間を稼がなくちゃいけないんスし」

 ジェシカが苛立ちまぎれに吐き捨てた言葉に、“対集団戦闘モード”《シッカーリド》の御者席からコーダが応える。

「にしても戦力バランスが悪いなぁ」と、カーエスが《風玉》で敵を牽制しながらぼやくように言った。

 確かに遠距離攻撃が得意な魔導士は三人の中でカーエスのみである、遠巻きに彼等を取り囲んでいる魔導士達を先ほどから相手にしているのは実質カーエスのみだった。
 しかも、強力な魔導兵器を装備していたり、実際に魔導のレベルが高い魔導士がいたり、さきほどカーエスとジェシカが医務室に戻ってくる時に邪魔をしてきたのとは全く質が違う。ジェシカもコーダも医務室の扉を離れ、敵に向かって行きたいところだったが、その間に残りの魔導士達が殺到されるとカーエス一人ではさばききれなくなるのだ。
 だから、ジェシカもコーダも攻撃には参加せず、相手の打ってきた魔法を槍で払うなり、甲殻に守られたサソリのハサミで受けるなりしている。

 できれば、全員倒してしまいたいところだった。
 時間を稼ぐといっても、いつまでこれを続ければいいのか分からない。仮に、ジッタークの“身体の時を戻す魔法”が完成しても、リクが目覚めるまでは医務室に足を踏み入れさせるわけには行かない。
 それならば、一度全員倒して、再び敵の手が伸びる前にリクをどこか安全な場所に移動させてしまいたい。
 守るだけでは余裕があるが、なかなか攻められない現状にカーエスは焦る。

(しゃーない、多少無理してでも大きな魔法を使うか)

 カーエスは敵を見据え、脇を守る二人に注意を促して詠唱をはじめた。

「大地よ、我が魔力に育まれよ! 若草よ、萌えよ! 花よ、咲き乱れよ! 樹木よ、繁れ! 高く広く伸び広がりて、あの空を覆い隠せ! そしてここに生まれよ、多くの命をその手に抱く《恵みの森林》!」

 詠唱の声に応えてカーエス達の足下が光りはじめ、そこから驚くべき速さで芽が出て、あっという間に立派な木々になる。
 突如として医務室の前に出現した森に、カーエス達を囲む魔導士達にたじろぎを見せた。この小さな森は医務室のドアをほぼ完全にカバーしているので、魔導士達に安易に攻め込まれることはない。

 しかし魔導士達の動揺を誘えたのはほんの一瞬のことだった。彼等は頷きあう様子を見せると、魔導兵器を持つものはそれを構えて炎を発射し、持っていないものは炎属性の魔法を使うべく詠唱をしはじめた。
 彼等の放った炎はカーエス達のいる《恵みの森林》に食らい付くように燃え移り、ことさら激しく燃えはじめた。

「まあ、冷静な対応やな」

 燃え盛る木々の中に立っているカーエスは、周囲の状況など目に入らないがごとく平静を保っている。
 口元には、してやったりと言いたげな不敵な笑みさえ浮かぶ。

「でも、アンタらがこうする事を俺が読んでへんと思わんのか? 猛る炎よ、燃え盛れ! 油を注がれるがごとく、どこまでも伸ばせ、その手を、その背を! 汝は地の底に渦巻く焔! 冷気に怯まず、水をも焦がす! この場に形作れ、悪しき心の者達を畏れさせる《焦熱地獄》を!」

 一瞬、《恵みの森林》を貪るように燃えていた炎の動きが止まった。そして次の瞬間、一層激しく燃えはじめ、木々の全くないはずの魔導士達の方に燃え広がりはじめる。それはまるで生きているかのように、魔導士達に襲い掛かる。
 炎は結構な範囲に広がっていたはずの魔導士達全てを包み込み、その熱で持って責める。身を焦がされる苦痛に、魔導士達から悲鳴が上がり、この場は阿鼻叫喚の、そうまさに地獄と化した。

「て、撤退しろ!」

 そんな声が炎の中から上がり、魔導士達は自分にまとわりつく炎を必死で振払いながら、散り散りに逃げて行く。
 全員逃げた事を確認すると、カーエスは炎を納めて、片膝を付く。超高レベルの魔法を連発したお陰で魔力、精神力を共にかなりすり減らしてしまった。

「カーエス、御苦労だった」
「カッコよかったッスよ」

 カーエスの傍にいたジェシカとコーダが労いの言葉をかけると、彼は玉の汗を浮かべた顔に照れくさそうな笑みを浮かべる。
 が、その直後、彼等の耳に足音が聞こえ、三人は反射的に身構えて臨戦体勢に入る。その視線の先にいたのは、いかにも役所勤め然としたスーツを身に纏い、頭から爪の先まで完璧に整えられた格好をした男だった。その唇は堅く引き結ばれ、その双眸はかなり鋭い。
 相手があまりに先ほどの魔導士達と懸け離れていた事と、たった一人でやってきていることに、カーエス達は思わず緊張を少し緩める。

「貴方はディオスカスの手の者か」

 丁寧だが、油断のない口調でジェシカがその男に問う。
 答えたのは、その男ではなく、便利屋のコーダだった。

「行政部長のエイス=マークシオさんでやスね?」

 男、エイスは全く面識のないコーダが自分の名を知っていた事に鋭い双眸を少し広げて驚きを見せたが、答える代わりに、懐から自分の身分を証明する手帳と“鍵”をカーエス達の方に放って寄越す。
 拾い上げて確認するカーエスに、コーダが説明する。

「元から野心家の気があったディオスカス=シクトに対し、エイスさんは保守派の堅物として有名なんス。情報からしても、ディオスカス=シクトの一派には数えられていやせん。また、数少ない上級魔導士の一人スから力になってくれるはずでやスよ」
「……そこまで知っているとなると、私が言う事はほとんど無くなってしまうな」

 先ほどから発言する機会を伺っていたらしいエイスだったが、彼の言おうとしていた事を、コーダに喋られてしまった為、やや溜息まじりにエイスが口を開いた。
 しかし本人からの自己申告ではなく、味方のコーダからの情報であったのが幸いしたのか、カーエスとジェシカは警戒を解いて、彼等に向き合う。

「疑ってしまって失礼しました。魔導騎士のジェシカ=ランスリアと申します」と、ジェシカが軽くお辞儀をして、謝罪をしながら名乗る。
「いや、この状況では信じるより疑うほうが大事だ。気にしなくていい」と、エイスが応じる。今度はコーダの方に視線を送ると、彼はエイスに笑いかけて名乗った。
「便利屋のコーダ=ユージルフと言いやス。以後宜しく」

「ほんで俺は……」と、カーエスが名乗ろうとすると、エイスがそれを遮った。
「カーエス=ルジュリスだね? 会うのは初めてだが、君のことはよく知っている」と、エイスは笑みを返す。だが、直ぐに顔を引き締めて尋ねた。「もう一人、フィラレス=ルクマ−スはどこだ? 君達と一緒にいると思ったのだが」
「医務室の中スよ。兄さん……リク=エールに付いてやス」

 答えたコーダの口から出たリクの名にエイスが反応した。

「リク=エール……彼はどうなった? 聞くところによると、ダクレー=バルドーと闘い、殺したはいいが、本人も重態でここに運び込まれたのだと聞いたが」

「結果は私達にもまだ分かりません」と、ジェシカがいい、今までの事情をかいつまんで説明した。どうせ隠す事でもないので、自分達が“禁術破り”をしたことまでも。
 エイスが反応したのは、フィラレスの“滅びの魔力”が癒しの力を発現した下りだった。

「フィラレス君は大丈夫か? それだけの力があると分かった今、ディオスカスが狙わないはずがない」
「あ、そういえばそうですね。でも俺らがいるし、諦めてるん違います? リクの場合は邪魔するだけで殺せるからええけど」

 しかし、その隣にいたコーダはカーエスほど、楽観的ではなかった。
 先ほどとは一変してその顔を真剣なものに変えて言う。

「さっきの魔導士達、本当に兄さんの治癒を邪魔しにきたんスかね?」

 計画は既に実行に移されており、聞いても止められる者がいない今、リクの口を塞ぐ事には何の意味もないはずだ。
 リクの治癒への妨害が嘘であるとするならば、あの魔導士達の行動は……

「俺達を彼女から離すための陽動作戦」
「フィリー……!」

 コーダの結論に、カーエスとジェシカの顔から血の気が引く。彼等はいち早く踵を返すと、医務室の扉に飛びついた。必要以上の力を込めてノブを回し、扉を押しあける。

 医務室に飛び込んだ彼等の眼前に広がっていたのは、彼等の願望とは全く違った光景だった。
 医療用具は床に散らばり、その隅には傷付いたジッタークが倒れている。その傍の魔法陣の中心には気を失ったままのリク。しかしそれ以外に人はいない。魔導医師も、その助手も、そしてフィラレスも。

「カ、カーエス」

 痛みに震えた声がカーエスを呼んだ。カーエスは、ハッとしてジッタークに駆け寄り、魔法で傷を治療してやりながら聞く。

「おっちゃん、何があったんや? あの魔導医師は、フィリーはどこやねん!?」


   *****************************


「道理で、医務室の中の様子が詳しく知れた訳だな」

 ディオスカスから彼のとった策を聞いたアルムスが忌々し気に吐き捨てる。
 “英知の宝珠”の接続を解いている時に届いた、カーエス達が禁術破りをするに至った経緯を聞いた時に、いやに詳しいと思った。医務室は密室のはずだ。正しく管理されている限り、魔導器によって監視されていることもない。
 ならば最初から答えは一つ。

「あの魔導医師達が貴様の手の者だったとは」

 魔導士達を差し向ける事によって、カーエス=ルジュリスなどのあの場にいる戦力は医務室の外に出る事を余儀無くされてしまう。
 そして中に残るのは戦闘能力のないジッターク=フェイシン、眠り続けるリク=エール、そして標的のフィラレス=ルクマースのみ。そんな状況になってしまえば、隙を見てジッタークを倒し、フィラレスをさらって裏口などから出てしまえばいい。

「お分かりいただけたようで」と、ディオスカスはアルムスが歯噛みするのを勝ち誇った顔を向けて見やる。

 ダクレーが死んだお陰で、ディオスカスの“滅びの魔力”の入手するための計画を狂わされたはずだった。しかしリクが倒れた為、その治療を邪魔するというカモフラージュが出来た。それを利用しての陽動作戦はダクレーに任せるより遥かに成功確率が高かったので、かえって彼にとってはいい方向に転がってしまった事になる。

「“滅びの魔力”は一足先にエンペルファータの外へと運び出すように指示してある。これで“英知の宝珠”と合わせて二つ。残るは一つだけ」

 ディオスカスが言葉を切ったのと同時、アルムス達が下りていた階段も途切れ、彼等は目的地に付いた。真っ暗なその部屋に入ると、ディオスカスは守備よくスイッチを見つけ、明かりを点ける。
 光に照らし出された“それ”を目の当たりにし、アルムスは分かっていた事ながら、目を見張った。巨大な半球形をした、他の魔導器とは一線を画す存在感。その正体はおそらく“それ”から発せられる圧倒的な魔力。

「“ラスファクト”《テンプファリオ》のみ」

 その強大な魔力の存在感に、やや恍惚とした表情を浮かべ、ディオスカスは“それ”を見上げながら歩み寄る。
 都市対象万能障壁構成魔導器“セーリア”を。

Copyright 2003 想 詩拓 all rights reserved.